小さな礼拝堂、脇庭の芝生はいつもきれいな さみどり色をしていて、 それはそこの主人の性格を物語るかのようだった。 春先には垣根の辺りに小さなスミレが群生して 日曜毎の礼拝に集う信者の目を楽しませた。 今は涼やかな黄色い水仙の季、清々しい香が牧師館を包む。 日曜の午後、まだ若い白川牧師が日曜学校の講師を努めている。 前任の頃はただ小学生相手のクラブのようなものだったが、 彼が赴任してからは、 その人徳を慕う老若が集って賑やか…まるで社交クラブだ。 少なからぬ様々な美女を目当てか、 隣接する全寮制男子校の生徒も随分と出入りした。 大人の目もある事ゆえ おおっぴらにアプローチするつわものは稀ながら、 銘々それなりに青春を謳歌しているようす。 産めよ増やせよ地に満てよ…でもあるまいが、 牧師も目に余る事でない限りは大目にみているようだった。 そんな健康的?な連中よりいつも沈んでいるあの子が 気になる…いつも楽しくなさそうな顔で片隅にいて 誰と喋っているところも見た事がない。 何か持病でもあるかとさり気なく周囲の生徒に尋ねてみたが、 誰に聞いても要領を得なかった。 早い話が誰も親しくないらしい。 初めて現れた時から直接声をかけて 生徒連の仲間に入れてやるのだが あまり喋り返してこない。 彼だけにかまっているわけにはいかないので あちらこちらを移動しているうち ふと気付くと、またひとりでつまらなそうにしている。 見た目はきれいなので愛想が無いと冷たい印象がある。 それで嫌われがちなのかとも思ったが、 自分から親しもうとしていないばかりか、 世話をしてくれようとした 何人かによれば見下すような態度さえとったらしい。 (…困った子だ。) 決して居心地が良さそうに見えないのに毎週のように来るのは それでもどこかで他人に親しみたい気持があって寂しいからでは? と思うが (拒絶していちゃ仲良くなれないよ…)。 ある日、 日曜学校が終り雑談に興じていた誰それも皆帰り果てた静寂、 薄暮れた窓辺にぼんやりとその子がいた。 「緒方くん、まだ帰ってなかったのかい。珍しいな」 と声をかけながら近づくと、 悪いのか?とでも言いたげな目線を返した。 「すぐ帰るんじゃないなら僕の部屋でお茶を飲まないか。 寒くないかい…?」 カラカラと戸締りをしながらそう誘うと 返事はなかったがちゃんとついて来た。 「まだ陽が落ちると寒いねぇ」 火にかけたやかんのチリチリという音を聞きながら 緒方に微笑んだ。 「たいしたことはない」 「うん、まぁだいぶん温かくなったよね」 と答えながら返事のあった事が嬉しくて白川はまた微笑んだ。 「緒方君のなまえ、聞いてもいい?」 「せいじ」 ぶっきらぼうに答えるのが実にらしく思われて。また微笑む。 「いい名前だね」 「精力のセイに次男のジ」 「強そうだ」 「別に…」 不機嫌な顔でそっぽを向く。 こども時代漢字を習い始めた頃からかわれた経験でもあるのか。 「精神のセイ、スピリットって意味でしょ。 いい字だね…! ボク好きだ」 心なしかうつむいた顔に赤みが射したように見えた。 「どーせ次男だし…」 「お兄さんがいるの?」 答えはない。 「一生二番目はイヤだ」 「一番が好き…? 次の字はもともと止って休む意味だよ」 初耳の話に緒方は顔をあげた。 「それからつぎつぎ続く、継ぐ、順序って意味が派生して 二番目の意味はこの字の五番目くらいの意味なんだ」 「名付けたヤツには二番目だろ」 「でもボクには一番目のセイジくんだよ…?」 さっと後を向いたが明かに朱が入ったようだった。 そのままこちらを向かないので白川は慌てて言い足した。 「ごめん、ごめん。キミの事ばかり言って ボクの名前をまだ言ってなかったね…」 「ミチオ」 背中を向けたままぼそっと呟いた。 「そう。…よく覚えてくれたね! たいてい下の名前なんて覚えてもらえないのに」 そう返しながら白川は緒方が背中を向けていてよかったと思った。 自分は今どんな顔をしている? 緒方の低い小さい声がその名を呼んだ一瞬、心臓が… まるで見えない手で鷲掴みにされたみたいに止まった…。 まだドキドキしている…頭に血が昇ってきた。 あぁ、振返られたら何と言訳しよう…? やかんがシュンシュン鳴きだした。 急いで火から下して湯を用意のポットに注ぐ。 「セイジくん、お茶がはいったよ」 言ってしまってから、どうしようと思ったが こっちに来る緒方は嫌そうなそぶりは見せなかった。 「お砂糖いくつ入れようか」 「いらない…ミチオは入れるのか?」 また心臓が激しくなる… 「う、ん…時々…」 あぁ今顔はあげないで。ボクの顔見ないで… 「熱あるのか?」 「夕方になると時々…」 「大変だな…気をつけろよ」 「ありがとう…」 「ミチオが倒れると皆悲しむだろ」 なぜか「皆」という言葉がひどく突き刺さる。 「セイジくんがいないとボクは悲しいよ」 「え?」 「時々来ない事あるだろう?…そんな時」 「来ない方がみんな機嫌いいだろ…」 「ボクのために来てよ」 自分でもびっくりする言葉がするっと口から出た。 「…毎週…毎日でも…」 顔が熱い。 「ホントに熱あるぞ、ミチオ?」 「スグ治るよ」 額に触れた緒方の手を執って唇に圧しあてた。 「…牧師がそんなことしていいのか…?」 「キミは?」 緒方の白い手から顔をあげると白川は呟いた。 「正しいのはキミだ。律法じゃない…」 豊かな前髪ゆるいカールの隙間から緒方を見上げる 熱っぽく潤んだ瞳。 初めて見る。 いつも優雅に皆の間を流れるように移動する時の ゆったりとした微笑と慈愛に満ちたまなざし。 それを忌々しくみつめ憧れるように通いつめてしまう己を 自嘲しながら片隅から眺めていると、 気付いた白川がにっこりと笑ってこちらに歩んで来るのだった。 その時の気恥ずかしい気分を圧し隠すように むっつり不機嫌面になっていくのを 自覚しながら逃げるでもなくじっと待っている時の 激化する自己嫌悪。 そしてますます厭な顔になっていく。 だがたぶんそれすらも確信犯なのかもしれない。 そうしていると彼が優しく肩を叩いて手をとって立たせ 皆の方へ連れて行ってくれる。 そのほんの何秒かの為に通っているのかもしれなかった。 そうっと包み込むように握り締める温かい彼の手を。 離れてからも心で感触を反芻している事を誰にも気付かれたくなくて 不機嫌そうに黙りこんでいる。 心の中でずっとファーストネームで呼んでいたことも、 見ないふりしていつもその姿しか見ていないことも、 それを暴露されたとカンチガイして大立回りをやらかして 罰を受けて来ることができなかったり、 傷ついた姿で同情を引こうとしてると思われるが厭さに休んだことや、 ただ取り巻き連にバレンタインのお返し配る姿を見たくない ばっかりに休んであとでこっそり 庭の手入れをしてる姿を遠目にながめていたことだとか… 一切は秘密のはずだった。 それなのにどうしてこの人は知ってるんだ…? 「オレが正しい?」 冷たい手で触れると本当にこの人は温かい。 温かい唇に両の親指で触れると、うっすら開いて甘噛みされた。 甘い痺れが心臓を貫く。 「こんなに…汚いのに…。」 「神の造りたもうものにきたないものなどないよ…」 「知らないだろ、アンタは…」 「知らない。でも何を知ったとしてもキライになんてなれないよ …ごめんね」 「…なんでアヤマルんだよッ?」 「何を言われても、もう、止められないから…」 頬を包む緒方の両腕を掴むと抱きすくめた。 「逃げるなら、今のうちだよ…?」 「あぁッ? どーしたら逃げられるってんだ、コレで!…離せ馬鹿ッ」 巻き毛を掴んで緒方は叫んだが、 降りてくるくちづけを逸らすことはなかった。 卓上で忘れられた紅茶が最後の湯気を吐き終える。 赤い水面が微かに震えた。 fin. |