映画館の前は老若の女性で溢れかえっていた。 そこここで待ち合わせらしい風景が見られ、 何がうれしいやら時々嬌声。 そうだ世間一般は一週間の勤めを終え、 週末の休みを明日に控えて疲れと解放感で浮かれる時間帯なのだ。 わざわざこんな時に待ち合わせした自分の馬鹿さ加減…。 うんざりしていた緒方、芦原の顔を見るなり、こう切り出した。 「…もう座席は無いらしいぞ」 こう言ってみても、抜け目の無い輩なら「もう指定席確保してるよ」 などと切り返されかねないが、その点芦原はやりやすい。 「えっ、そうなんですか?」 と言いながら館を取り巻く女性陣を見て納得したらしく、 「困ったなー、今日はもうこの後上映無いですよねぇ」 と弱り顔。 それを見てニンマリと緒方。 「そう言うだろうと思って別のを探しておいた」 「本当ですか!」 珍しく気の利いたセリフに笑顔をはじけさせた芦原、 はっと真顔に戻って続ける。 「でもいくら空いてるからって、 貸し切りみたいにガラガラはイヤですよ…」 「何だ、痴漢に遭うからか?」 と緒方は爆笑。 以前、あまりの人混みに行列の無い映画を選んだところ 館内スカスカ。 だがやたら車が走りまくるだけの映画になぜか緒方は夢中。 芦原も仕方なし、おとなしく座っていた。 すると反対側の隣にデカい男が座ってきた。 一瞬、他の席もあるのに…といぶかしんだものの、 緒方が中央前寄りの最上席だったから、 たぶんその人もいい席で見たかったんだ… と、呑気に考えていた芦原。 その太股にやたらソイツの体が接触する。 両肘を肘掛けに張り出し身を乗り出すように画面に見入る緒方 に遠慮しながら、芦原は何とか体を緒方の側へ寄せてみた。 だが迷惑行為は止まない。 だんだんシャレにならない所に押し寄せてきた。 たまりかねてずうずうしい手を振り払ったら逆ギレしたのか、 急所を狙ってくる。 冗談ではない。 芦原は暴漢と狭い座席で揉み合いになった。 その時ようやく気付いたか、芦原越しに緒方が巨漢の顎に一発入れた。 芦原が驚いて身をすくめた隙にもう一発。 これは金的だったか男はその場にうずくまり呻く。 見下ろす緒方と目が合うと這うようにして去った。 芦原が緒方に礼を述べようと、恐怖にひきつっていた顔を笑顔に つくりなおして向き直ってみると、緒方はもう席について 画面に熱中、振り向きもしない。 そっと座席に直った芦原は、それからさらに一時間 眠気に耐えぬいたのだった…。 「今度は早めに騒げ。つまみ出してやる」 「やめて下さい、そんな事したらつまみ出されるのはこっちです!」 まぁ普通はそうだ。 ところで今宵の目標は…。 「えっ、コレって…」 なぜ選んだのかと緒方を見上げる芦原。 「流血モノはダメだったか?」 緒方はニヤニヤしているが、これは某世界宗教始祖の受難を延々描写 して非信者のみならず信者にまでブーイングを浴びまくっている映画では なかったか。 「緒方さん、クリスチャンでしたっけ…?」 「いや。オマエ、そうか?」 「いいえ…大昔オバサンに連れられてクリスマス会行ったくらいで」 「ふん、半クリか。オレは自慢にもならんがそういうのに行った事は無い」 「じゃぁ、なんで…」 「血と汗と男の魂、メル・ギブソン監督だぞ! 『ブレイブ・ハート』は知ってるだろう」 「何すか、ソレ?」 「くッ…あの剣と炎の感動巨編を知らんだとぉー?!」 「ぅわー、こんどDVDレンタルしてみますから殴んないでっ」 いきりたつ緒方に抗弁あらばこそ。 芦原従うしかない。 暗転。 物語はひたすら主人公を痛めつけ続け、鞭が唸り、血しぶきが飛び、 肉が裂けてもまだ止まぬ受難のクライマックス。 聖者が引き摺り去られ、跡に残された血溜まりの石畳。それを聖母が 懸命に押し拭う…もはやいたわってはやれない我が子の代わりのように。 しかし画面より、その光を受けてきらめく緒方の顔から目が離せない芦原。 (何だ、監督のファンみたいなこと言うから、てっきりこういうの好き なのかと思ったら…全然ダメなんじゃないか。 ぅわっ、ハナ…!) なんだか意外な一面を発見して小鼻を膨らませちゃう芦原君。 背もたれに体をギューと押しつけて我慢してる姿が何だかもうかわいくって、 キューと抱き締めて頭をグリグリしてやりたい気持ちと、もうしばらく ダラダラ涙と鼻水にまみれた緒方を見つめていたい気持ちとに引き裂かれ、迷う。 う〜ッ、どっちに? あーっもう、迷ってる内に映画が終わっちゃうー…! 思い切って、ぐいっと脇から…。 抱き寄せちゃえー! と決意を実行したら、次の瞬間。 芦原は林檎のほっぺをグーで殴られていた。 わーん、殴んなくたっていーじゃないですか、緒方さんっ…? 痛さに涙をにじませて頬に手をやり見上げた芦原に再来する拳。 丸見えだし速度はないし、さすがに今度は止めたが。 殴りながらも、まだボロ泣きしてる緒方。 しょうがないなぁ…。 芦原黙って「気付かないフリ」をしてやるしかない。 泣き止むまでどれくらい座ってなきゃいけないだろ…従業員が来るまでに 泣き止んでくれると良いけどさー…。 暗い館内で芦原は溜め息を殺した。 震える拳を固く握りしめてやりながら。 ……… おしまい。 |