[リロード]

不触      

 映画の後まだ少し湿っぽい感じがしたので、
芦原は館からそう遠くないカジュアル・バーに緒方を誘った。
 彩り豊かな間接照明で明度のわりに明るい感じの店内は
軽音楽が抑えめのボリュームで流れている。
 低めの障壁で区切られた石畳風の床に椅子を二、三脚ずつ従えた小卓が点在し、
適度な間隔と障壁が同卓の親密さを他客の目から覆いながら閉鎖感はない。
 口説きはじめの女の子を連れて来るのにはうってつけ…。

 言っておくが別に下心でココを選んだのではない。
 他にめぼしいのが見当たらなかった。
 いつもの緒方なら入るのも拒まれそうだが今夜は黙ってついてきた。
 色々我慢してかもしれないが。
「えーと、オレは麦のお湯割り。緒方さんは?」
「ドライ・マティーニ」
「ハイ、麦焼酎お湯割りにマティーニフレイバー…」
 そう復唱する店員に緒方、
「フレイバーは要らん」
とプチ切れそうな声。
 慌てて芦原、
「カクテルメニューない?」
「カクテルはこちらになります」
と店員は細長いリストを示した。
「これでいい」
と緒方が指すと店員、
「は、トロピカルアイランドすね」
と端末入力。
「違ッ…その下だ、下ッ」
「しつれーっした。少々お待ちを…えー、
カクテルミニ・ベルベットナイト・マティーニはぃりマス。
ご注文は以上でよろしいっしょか?」
 緒方むっつりと答えない。
「うん、とりあえずそれだけ。なるべく早くね」
と冷や汗の芦原に、店員一礼。
「少々お待ちっさーぃ」
と下がる。

 どうせすぐには戻って来まい。
「流血って言うわりには大したことなかったですね」
と話を向けると、くわえかけた煙草が止まる。
「何見てたんだオマエは…。
 背も腹もズタズタで血みどろだったじゃないかッ」
「腹もやられてましたっけ…。
 背中しこたまやられてから鋲付き鞭が出たのは覚えてますけど」
「その後裏返されてただろッ」
 苦痛を思い出したのか顔をしかめる緒方。
「…オレ怖くて目をつむってたですもん、その辺」
 芦原苦笑して茨冠の横顔がアップになったパンフを取り出す。
「そんなもの買ってたのか。怖がった癖に」
「怖かったから買ったんですー。
 あ、見て下さい、ちゃんと書いてありますよ。
 あの傷、生身じゃなくて特殊メイクだって!
 げ、全身?
 でもムレてカブレちゃったって…大変だなぁ役者さんって」
「それが仕事だから仕方あるまい」
「アハハ、冷たいなー緒方さん。あぁ、それでか。納得ー。」
「何がだ」
「え、いや、何となく…イエスさんが思ってたよりデブい気がしたんですけど」
「でぶー?」
「ぃや、ホラ、よく教会の正面に架かってるのってガリガリじゃないですか」
「…かな」
「だから何となくあんな感じに思いこんでたんで。
 でも夜に捕まって翌昼には十字架だから、一日であんなにやせるはず無いんですよね。
 だからまぁ、あんな感じなのかも…?」
「…逮捕前はいい食生活してたって事か?」
「えっ? えー…んー、まぁ、そういうかもですねぇ」
「何だ、聖人らしくないな…それとも、そういうものか。ああいう手合いは」
 緒方の顔に皮肉な笑いが浮かんだ。
「はは…だから逆に痩せてるといつまでも人気あるのかなー」
「誰がだ」
「え、いや…誰ってコトは〜。ははは…」
「気味の悪いヤツめ」
「お待たせしました。ご注文、以上でよかったでしょうか」
「うんうん。ありがとー」

 ようやく酒が来た。
 だが緒方は興味を失いかけているのか、なかなか進まない。
「おい、店員!」
「はい」
「注文と違うぞ」
「失礼しました」
と下げようとした店員、注文票を確認して。
「お客様、ご注文はカクテルミニ・ベルベット・ナイト・マティーニで
 お間違いございませんか」
「オレが欲しいのはマティーニだ。ドライ・マティーニ。カクテルだ。
 難しい注文なのか?」
「…あのぅ、そのお手にあるのが
『カクテルミニ・ベルベット・ナイト・マティーニ』ですが」
「何だソレは」
「は。当店のオリジナル・カクテルです!
 普通のマティーニより口当たりがやわらかくて飲みやすいと評判で…」
「評判など、どうでもいい。
 要するに普通のマティーニは無いのかッ?」
「辛口がお好みでしたら、こちらのジンライムなどもお薦め…」
「下がれ…ッ」
 緒方の怒号は大音声ではなかったが抑えた分凄みが利いたか、
ひきつりながら店員が退いたのに続いて近い席からも客が退いた気配。

 芦原は苦笑して緒方の前に残されたグラスに手を出す。
「緒方さん、ソレ要らないなら下さいよ」
「…止せ。甘いったるいだけだ」
「でももったいないじゃないですかー」
 ライムを一切れあしらった大ぶりのグラス、何が入っているのか黒っぽい。
「んー、甘いけど飲めますよ。何入ってんのかな…黒砂糖? コーラ?」
「いいかげんな舌だな」
「正体は謎だけど結構イケますよーコレ。あ、おかわり」
「あッ、こら、止めとけ、バカ!」
「んーっく。何かねー、アマくって。
 しつっこいかなーと思わせて。サワヤカな後口なんすよねー。
 何杯でもイケるかも〜。
 あ、コレと同じの、もーひと…」
「止めろと言うのがワカランのかー!
 もう出るぞ」
「え〜?
 緒方さん、全然飲んでないじゃないですかー」
「バカが飲んじまうからだろっ。オイ、立て!
 置いて行くぞっ」
と立つ緒方。
 従おうとして椅子から崩れる芦原。
「あれれっ…へーんだなぁ。
 あははー、大丈夫ですって。一人で立てますぅ」
と、言う事だけは健気ながら、腰に力が入らぬ態。
「バカが…ナンパ酒なんぞにアタりやがって…!」
「ナンパなんかじゃないですよー、やーだなぁ、緒方さんってば。
 セクハラおやじ〜」
「バカモンッ!
 バカがバカやる時のバカ酒だと言ってんだッ…。
 くそ〜、二時間は立てんか…」
 芦原が口当たりに騙されグビグビあおり続けたのはとんでもないアルコール濃度。
 ありていに言えば口説き落とす自信の無い輩が送り狼になるために使う類。
「二時間立てないなーんて、な〜んで知ってるんすかぁ緒方さん…。
 さては使った事あるなー?
 ダァレに使ったんです、白状しなさーいっ、スケコマシ〜!」
「使わんでも誰でも知ってるんだ!
 その辺の田舎娘でも騙されん!
 今時こんなのにひっかかるバカはオマエだけだ、このドアホウっ」
 背中の芦原を怒鳴りつけながら、緒方は宿を目で探した。
 力の無い芦原を背負うのは意外と骨である。
「くそ、デブはキサマだ…!」
「でぶじゃなーい! 
 でぶってゆーのはクラタひゃーん」
「バッ馬鹿、黙れ! 人に聞こえたらどーするっ」
「…みたいのでひゅー。
 て、オガタひゃんがぁ、言ぃーまちたー!」
「静かにせんか、バカッ」
 贅沢言わずに適当な所で下ろさないと、緒方の方がヘロヘロになりそうだ。
 だが目前のギンギラギンのホテル街だけは選びたくない、
と緒方は思った。
 それではまるで自分が悪巧みしたみたいではないか…!
「緒方さん車はぁ?」
「置いてこいってったのは誰だッ」
「タぁクシー!」
「ッサマ〜、振り落とすぞ」
「もー、襲わないからアレにしましょーよぉ」
と芦原が指したのは古典的なファンタジー城構え。
 反動で駆込んだ先がビジネスのツインだとしても
緒方を責める事なかれ…。
 寝台、風呂にミニバー付きである。
 寝顔を肴に何を幾つ空けたかは…緒方の機嫌がいい時、
芦原君に聞いてもらう事にしよう。


              ……… オヤスミナサイ◎




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