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望月      

月見をしようと言うから。
こちらはずいぶん前から予定を何も入れないよう用心していた。
今宵、十五夜。
だというのに……。
今日になって、夕方外せない用が……などと、よくも言う。
誘った側から潰す約束など、無い方がマシだッ。
 ……オマエとは二度とヤクソクせん、白川!

顔付き少しばかり派手なせいで
チャランポランなイメージを抱かれがちな緒方棋士
(成人前だが既にプロ)。
直(じか)に接すればものの三分と要らずに解る通り、
何事もキッチリやらねば気がすまぬ。
後年白スーツで真っ赤なスポーツカーを乗り回す姿が
よく知られる時分にはそういう本来の性分を幾分抑えて
時には虚像を自ら意識的に利用する知恵もついた。
だが本日話題のこの頃は、まだまだ青い。
デビューしたての業界内外、おつきあいの輪も広がるはずだが、
そうでもない。
どうやらこの四角い気性が諸人敬遠の原因か。
いつも笑顔で緒方の癇癪怒号にも怯まない、白川棋士が
目下唯一のお遊び相手。
むろん遊びと言って贅沢のできる身分でなし、こうして
たまに部屋で酒でも汲み交わすが関の山だが……。
(この組合せで酒以外に楽しみの無いはずもなかろうが、
詳説は省く。)

さて今宵予期せぬ暇を持て余す緒方、何をする?
と、命題を掲げてみたものの。
……大層な雨である。

食堂のテレビが流したニュースによれば
列島南端に台風上陸とか。
どこもかしこも雨風激しく、交通途絶も危ぶまれる夕刻。
これでは、外出もままならぬ。
早めに帰宅し一晩家内でおとなしく、
と、アナウンサーはくくる。
聞き分けの良い緒方なら心配いらないが、あいにくと
まだ少々バカの尻尾が残っていた
(過去形で良いか逡巡したが、とりあえず採る)。

日暮れて暗い道をずぶ濡れで行く長身の男。
しかしそれに誰が注意を向けたか。
まれに行き交う人も自身の前進に精一杯だ。
あたり走る車も少ない路面を叩く雨。
その大粒も強風で横なぐり。
垂れ込める暗雲に圧倒されたか街灯すら頼りなく、
時折り光る稲妻がひとり不気味に辺りを照らす。

雷は近い。
凄まじい音と光に肩を震わす。だが、歩みは止めない。
傘は風に奪われそうだから早々に畳んでしまった。
あちこちで水が溢れ、所によって踝(くるぶし)か
腓(ふくらはぎ)まで水が来ている。
靴の中まで水が入り、一足毎にジュブ、ジュブ、と
不快な音がする。

来るんじゃなかった、
と悔やまないではないが、ここで引き返しては
負けを認めるようで、それも我慢ならない。
ただ進む。


思いのほか早く解放された白川、
雨中を急ぐ。
台風の上陸で帰宅が遅くなりそうだ、と、嫁いだ従姉から
今朝早く、電話が入った。
否も応も無く留守宅の世話を命じられる。
家内無人だから、ではない。
里帰りした妻を待つ旦那ともうひとり、
一歳に満たない赤ん坊がいる。
男手では赤子の世話が心許ないと言う。

「ねぇさん、ボクだって男だよ…?」
「何言ってんの、嫁要らず!」

そんな男に誰がした、コイツとアイツとあの……
働き者揃いの一族で女連が白川をこう躾けたは、
上の世代の男連への反省なのか、腹いせか。
はたまたこのように使い回すためであったか。

故郷を出てしばらくは静かな生活だった。
だが、伴侶の転勤に従って従姉が一人近くなった。
それが何かといえばすぐ従弟を呼び付ける。

 ……そのうち縁を切ってやる!

思いは深呼吸で飲み込んで。
午前の用を済ませた白川は、乳児のいる家の呼び鈴を押す。
と、扉を開いたのは旦那。
「おや、道夫くん。こんにちわ」
出迎えた男の呑気な様子、そして赤ん坊の姿が見えないのに、
ここで気付くべきだった。

旦那が、
「道夫君、いいよいいよ、そんな事……」
と、言うだけで何もしないのはいつもの事。
構わず白川は流しの食器を片付ける。

終わったところへ現れたのは
湯上がりに身を包んだ従姉と赤ん坊。

「やぁだ、何でここに居んの、アンタ」
「それはこっちのセリフです」
「帰るって電話したでしょ」
「いつ、どこに?」
「新幹線乗る前、アンタの部屋の電話に」
「聞いてません」
「どうしてよ!」
「朝から用事で出先から直接こちらに来たんです」
「知らなーい、なんでそんなことするのよ、もうっ。
 さっさと帰ったら? アタシがいるんだから」
言われなくてもすぐ帰る!
礼も詫びも待たずに白川は辞去した
(たとえ待ってもそういうものは出ないから
失礼にはあたるまい)。

風雨が強くなってきた。
緒方はどうしているだろう。
白川は時計を確かめて駅を目指した。


棋院に確かめたら、とっくに帰ったという話なのに、
緒方がさっぱり電話に出てこない。
どこへ出かけたというのか、
この悪天候の中を?
受話器を公衆電話に掛け戻しながら白川はまた時計を見た。


傘の意味も無いほど濡れてたどり着くアパート。
見上げる目標の窓は真っ暗。
やはり緒方はまだ帰っていない。
扉を強めに叩いてみる。
スネて居留守を決めているなら、それでも構わない。けれど、
そんな様子も無い。
近くの食堂や飲み屋も立ち寄ってみたが、
嵐に備えてとっくに看板。
たばこ屋の窓も雨戸が打ち付けられ、辺りの道に人影も無い。

緒方の行きそうな所、他にどこがあるだろう。
行き先はそんなに多くないはずだ。

もしかすると、師の留守宅を守りに行ってるのだろうか?
そんな話は聞いてない。
でも、今日になって急にそうなったのかもしれない。

それならそれでいい。

あのアパートにいるよりはよほど安全かもしれないし、
ちゃんとした夕食だっていただけるかもしれない。
それなら、いい。

白川はそう思ってほほえもうとして、
何だかうまく笑えず唇を噛む。
なぜ。
笑うしかないのに。

今夜の約束を破ったのはボクの方だ。
自業自得じゃないか。

雨がほほをつたい、結んだ口を過ぎ、したたり落ちて
胸を濡らした。
あてもなく歩きだす。


どこをどう歩いたか、気が付くと自分の下宿に通じる道。
風が穏やかになったので白川は傘を開いた。
濡れに濡れてもういまさらだけど、
持ってるのにささないのもヘンだろう。

と、その時、傘の向こう、暗闇に光るものを見つけた。
小さな赤い火。
あれ、まさか、下宿二階の廊下、ウチの前じゃ……。
目を疑いながら走る。

畳んだ傘を掴んで階段を駆け登った。
軒下の影に怒鳴りつけようと思ったのに、
先手を打たれる。
「どこほっつき歩いてたんだ!
 このトンマッ」
緒方のセリフ、そのまま白川が言いたかった。
けど言い返しもせず、
殴るような勢いで突き出した腕で掴み寄せると
白川は
緒方を思い切り抱き締める。
「な、な、何だ、バカッ
 せっかく乾きかけたのに……!」
よろめく足が喫い殻を踏み散らし、
濡れたシャツを体で挟んで
冷たい生地の皺、肌に痛い。

緒方がくしゃみした。
「ごめん、すぐ開けるよ」

ズ……、
とハナをすする音を背景に
白川は鍵穴を探った。
乾いたタオル、新しいのも下ろせば足りるだろうか。


靴脱ぎで濡れた服を脱がせ、バスタオルを着せ掛け。
緒方がタオルで頭を拭いてる間に、
白川は脱いだ服を廊下で絞って軒下に吊す。
この天気では朝までに乾かないかもしれない。
でも着替えはあるし、
部屋の中は体を拭いたタオルだけで干せる場所が一杯だ。
 ストーブ、早めに出しといてよかった。
そう思って白川がふりかえると、
緒方はストーブの前にしゃがみこんでうつらうつら。
 火傷するよっ、
と少し怒って引き剥がしたら、
コロン、と、ひっくり返って、そのまま横寝。
背中をあぶってる。

布団の用意できたから移れ、と言って引いても
動きやしない。
少々乱暴だが、
床をごろごろ転がして布団に挟んでやった。

そのまま寝たか、と思いきや、
濡れ物などを始末してる白川の背に、
「まだ寝ないか」
と、声。
「うん、もう少し」
という答えに、
「早く寝ろ、枕元でがさごそされてはうるさくて眠れん」
と、怒る。
しかし片付けないで寝るわけにいかない。
「もうすぐ終わるから」
 白川の苦笑に、
「もうすぐってのは、あと十秒か?」
そう言って、
 いーち、にー、さーん……、
数えはじめた。
数えたって……。
手伝ってくれるでなし、はかどるわけもない。
今日の始末がついても明日の準備がまだある。
まだか、という顔が見えても、
(そのうち諦めて寝入るだろう)
と、構わずにおく。

すっかり片付けてストーブを消す。と、
「おい」
と抗議。
「まだ起きてたの、もう寝るよ」
そう白川が言って明りを消すと、不満げにうめいた。
寝るのに火や電灯を消すのは当たり前じゃないか。

で、布団の端をめくろうとしたら、あったはずの所に無い。
手さぐりするとスルスルと逃げる気配。
緒方め、掛け布団を体に巻き付けて、くるり、と逃げた。
「貸してよ」
のり巻みたいに巻き付いた布団を白川がつかんで、
ぐぃっと引く。
勢い良く転がり出たらしい緒方。
「……テッ、何すんだ、バカ!」
「布団一組しかないんだ。一人占め禁止」
澄ましてそう言う白川。
言葉通り半分開けて待つのに、緒方ときたら
いっこう来やしない。
「こっちにおいでよ、風邪ひくよ?」
呼んでも静か。
不安になる。

「緒方…?」
布団から這い出し、暗闇で肌に触れる。
わずかな間に、もう、ひんやりして。
抱き寄せると、くしゅっ、とくしゃみ。
枕に巻いてたタオルで鼻先を拭うと、かぶりを振る。
「出てないッ」
「ほんとに?」
鼻の下舐めると、ほんのり塩味。
「なめんな!」
背中から手と足で抱き締めて、ぴたり、身を寄せる。
少しずつ温かくなる。
何気なく触れ合って、互いの形を確かめて……。

布団に帰らなきゃいけないのはわかってるけど。
探るように寄り添い、
くちづけあうしか、
もう。


              ……… 了




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雲水亭

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