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水 琴 窟      

 その席に白川を見たのは意外だった。
 古狸の化かし合いの類とは少々距離を置いていた
はずではなかったか。
 何か特別な目的でもあるのか、それとも
こういうのもそろそろ少しは…と考えを改めたか。
 そう簡単に主義を変えるとも思えんが。
 見た目の柔らかさに反して内面は随分と強(こわ)い
のだから…。
 渋い顔をしている緒方と目が合うと、
白川はごく日用の微笑を添えて目礼した。
 人前で通り一遍の扱いしかないのはいつもの事だ。
 素っ気ない。
 その理由を問うた事も無いが何期待したでもあるまいに
今日はその仕草が少しカンに触った。

 会合は珍しくもない親睦会の定例というやつで実態は
口実設けて長老が良い気分になりたいだけの不平等な飲み会。
 ただし今日は飲む前に理事と称する来期世話役を数人定める
という。
 緒方はただ古い恩人の顔を立てる為に来たのだがそれは
平たく言えばミニマムな選挙運動。
 会内互選で決まる理事に彼の隠居がなるというから
議事の間は後見人らしく座っておればよいはずだった。
 その老人が一昨日急に入院。
 辞退してしまった今となってはこの会合に顔を出す必要もなかろう
と思いきや、一派ご推薦の人物が理事長に納まるを見届けてくれ
と病床から頼まれた……止むをえん。
 むろん緒方はこういうジャンルで自分がいかに役立たないか
口を酸っぱくして説いてみたが、
老人はただ座っているだけで良いからと譲らず。
 ご期待の星が堕ちるのを黙って見るだけになるだろう……
と緒方は暗い気分で会場に来たのだった。

 しかしヤツの顔を見たとなれば違ってくる。
 白川。
 この男は白も黒となしうる稀有な技者。
 そしてヤツの目的は緒方と同じではないだろう……。
同じどころか対抗馬支援ではなかろうか?
  だとすれば……。
 この時緒方を見上げれば一瞬ニヤッとしたのがわかったかも
しれない。
 あいにく誰も見なかった。
 しかたない。
 今日の主役はゲストではなく会員である各自自身だ。
 人生主役になる日はそう沢山あるものでない。
 脇役が無言で席を立とうと、ふりかえる余裕も無いだろう。

 しかし期待に違わず一人だけは気付いた。
 出ていく緒方を目で追いながら傍の上着を引き寄せたのが
戸を閉める時に見えた。
 緒方は宴会場からロビーへの移動にできるだけ時間をかけて
みる。
 ロビーの隅、灰皿のある一角に着くと期待通り先客。
 しらじらしいだろうがこう挨拶しておく。
「珍しいな…喫うか」
 緒方が箱を振って差し出すと
頭を出した一本を白川は手にした。
 だが自分で火を点ける様子は無い。
 緒方が煙草をくわえると、はにかんで寄ってきた。
 ライターを差し出すと点火したが、
一吸いしてまるで煙が苦いような顔をする。
「無理して吸うぐらいなら返せ」
と唇から煙草を取り上げると抗議の目を向けたが、
緒方が口にくわえた煙草を奪い返しもせず
ただ眺めているのだから黙認も同然だ。
「今日は暑いな……」
 煙を脇に吐き出した緒方のつぶやきに白川は何も言わず
ただ微笑を返した。
「こう暑いと何もする気がせん……」
 正午過ぎて今頃が蒸し暑さもピークだ。
 宴会場よりずっと蒸すような感じがするのは
排煙装置が働いている分、外環境に近いのだろう。
 そんな所で上着までキッチリ着こんで涼しい顔とは
どういう神経か。
 緒方はネクタイに手をやり、襟元を緩める。
「……フケるぞ」
「え」
「戻らんと誰か困るのか」
「キミは……?」
「どうせ会員じゃない。キサマもだろう。
 部外者は遠慮して自主裁量に任せるのがいいと思わないか」
「珍しく正論だね」
「珍しいは余計だ。解ったら来い」
 煙草の火を灰皿で押し潰すと後も見ずに行く。
 これでも緒方にしてみれば随分と頑張って誘っているつもり
なのだ……白川は笑いを噛み殺して後を追った。

「この後の予定は……?」
 助手席に着いた白川の問いを咎めるように緒方は切り返す。
「……キサマ、始めからフケるつもりだったのかッ」
「そんなつもりはなかったから聞いてるんじゃないか」
 なるほど。それは緒方も同じだ。
「……無い」
「ん?」
「予定など無いッ」
「あぁ。
 で、どうする?
 これから……。
 午後いっぱいフリーなんて、なかなか無いよねぇ」
 車窓の風景に目をやる白川。
 その次の台詞を待たずに緒方は言った。
「何にしても涼しい所だ」
「……あまり遠くない方がいいよね?」
と予防線を張る白川。
 タイヤの導くまま青葉涼しい山上や潮風の海辺などに
連れられても困る……嘘偽り無く何の用意もないのだから。

 白川の心配を笑うように緒方が車を着けた。
 出発地点からそう遠くないホテル。
「何するんだ」
「さぁな。そいつは部屋で考えろ」
 ダルそうに答える緒方。
 考えていないのか、考えるまでもないのか……。
「他にいいアイディアがあるなら教えてくれ」
 リフトを呼びながら緒方が言うと白川の答え。
「いや、いい考えだと思う」
 ……本気か?
 と、目をむく緒方に微笑み返し。
「たまには昼寝もオツだよね」
 開く扉に乗り込んで緒方はまぜっかえす。
「キサマ、昼間っからイビキをかくつもりか……ッ」
「鼾なんて……かいたことないだろ?」
と唇を尖らした顔がちょっと近過ぎ。
 それを避けるように緒方はリフトを降りて、廊下を進み、
ドアを開く。
 いや、開こうとしている。
 自慢じゃないが、カードキーは苦手だ。
 エラーばかりでちっとも開かない。
「何見てる」
「緒方くん」
「オマエが開けろ!」
「どうして」
 白川はニコニコして待つ。
 ようやく開く。
「とっとと入れ……!」
「シャワー、先に浴びていいかな……汗かいちゃった」
「勝手にしろ」
「キミも一緒に洗っちゃう? 随分汗かいてただろ」
「汗なんかかいてな……ぶみッ、ひぶッ……
 ん…んッ……んー…ッ」

 天井ではまだ利いてこない冷房が懸命に仕事をしている。
 が、部屋の主達はどうやらそれどころではなさそうだ。
 もう何分としないうちに汗に汗を重ねあうのだろう。
 その頃にはきっとカーテンも引かないこの部屋も
ほど良い涼しさになっている。



              ……… 了





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