「箱庭」の風子様のステキなお話を
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白川先生お誕生日前夜、
緒方は…?!


… Uncertain …

by 風子

 乱立するビル群を縫うように、凛とした光が昇った。
 ――― 満月から、一日遅れの月。


 真夜中、背中越しに私の隣に滑り込む気配に目覚めた。
 微かに漂うラークの残り香。
 今夜は来ないと思っていたのに。
 蒼闇の中、じっと私の様子を窺っている緒方の視線が、背中に痛い。
 私が眠っていると思ったのだろう。
 諦めたようにクルリと寝返り打つと――― 。
 夜の静寂さのなかに零れる、深い、官能的な溜め息。

 とたん空気は密度を変える。
 まずいと思いながらも、気が付けば、緒方を抱き締めていた。


 寝苦しい七月の宵。
 開け放された寝室の窓から忍び入るのは、編み戸越しの、月の寂光と心地良い風。


「駄目だ。白川」

「今夜は………ダ、メだッ」

 なんて不思議な言葉なのだろう。
 緒方の躰は、言葉とは裏腹のことを私に訴えているのに。
 いつもより一層、熱い躰。
 私は微笑しながら緒方の耳に、首に、胸に唇を這わせていく。
 ただそれだけで、掠れ気味な声は抗いでなく艶めいたものに変わり始め、
 緒方の躰にくすぶっていた欲望が、一気に燃え上がっていくのがわかった。

 夏の枯れ草に火を点じれば瞬く間に広がるように。


 だが。
 何かが……… 。

 心の底を引っかくような、何か、を掴もうと私は息を潜める。

 急に止まった愛撫に、緒方が身じろいた。
 彼が醸し出す不安そうな雰囲気に、ふいに浮かび上がる、このところの苦い記憶。
 おもむろに私は枕元のスタンドに手を伸ばす。

「――― よせッ」
 だが阻止しようと伸ばされた緒方の手は、むなしく空をきり、一瞬早く、ガラス製の
 テーブルスタンドは淡白い明かりを放った。
 瞬間、私の中の時がオーバーラップする。

 照らし出された緒方の白い躰と、そこに散る、鮮やかな赤い痣。

 とっさに視線を外した緒方の顎に、私は指を掛けると顔を上げさせた。

「これは何?」
 すぐに、緒方から返されてくる強気な視線。
「見てのとおりのものじゃないのか?」
「言い訳はなし?」

 自分で自分の声の冷ややかさに驚く。
 でも、それも仕方ない。
 この緒方の痕――― 。 
 付けたのは塔矢先生だと、確信があった。
 ワイシャツに隠れない可能性のある首に痣を付けることを緒方が許す相手など、
 他に居るわけがない。

「いつ帰国されたの?」
 もちろん言わずもがな、塔矢先生のことを指して居るとすぐに伝わるのは当然で。
「昨夜だ」
「相変わらず突然なんだね。で? この頃、どうして先生が帰国される度に、
こう言うものをつけてくるわけ」
「仕方ないだろ。消えるまで待っていたら、しばらくは会いに来れないじゃないか」


 (来なくていいッ)と白川は思わず声を荒げそうになりながら
「……そうじゃなくッ。先生には止めて欲しいと言ったの?」
「いや」
 ぼそりと緒方。

「――― 君って。やっぱり、S? いやMなのか?」
「なんだ、それは」
「私に見せ付けて喜んでいるのか、それとも見せ付けることで手荒く私に扱われるのを
 望んでいるのか。どちらかにしか思えないってことだよ。まったく」
「勝手に思い込めよ。情熱的な交配はいつだって大歓迎だと言っている」
「………そう」
 それは、静かで、それでいて滴り落ちる冷たい水を連想させる白川の声音だった。
「………? し、白川っ?」
「――― つまり昨年の夏のように、またして欲しいわけなんだね?」
 瞬時、緒方が硬直した。


 緒方の脳裏を今、何がよぎっているのか、私にはよくわかっていた。
 それは今でも私自身が後悔している昨夏の夜の出来事。
 あの夜、私は正気じゃなかったと思う。
 そうでなければ、いくら緒方とアキラ君との関係を疑っていたとしても、
 媚薬を使ってまで酷く緒方を責めることなど出来なかったはずだ――― 。


「お前ッ、自分が悪いのを棚に上げてっ」
 私は緒方へ感じている負い目を本人に告げる気はなかった。
 急いで本心を冷ややかさで包み込むと
「私が? 何を棚に上げたって?」
「だから、駄目だと言っただろうッ! しかも、せっかく人が気を使って、見せずに済みそうな
 タイミングまで見計らって来てやったのに」
「明かりを付けた私が悪い?」
「自分で地雷を踏むヤツのことまで、責任とれるッ…」
 それ以上、私には緒方の話を聞く精神的ゆとりが無かった。
 憎らしい言葉を吐く緒方の口を強引に重ねて塞ぐと、間近から緒方の眸を覗き込む。


 その瞳の奥に見え隠れするのは、焦りと憤りと、罪悪感と……何?
 私は心のなかでひっそりと苦笑した。
 まるで悪戯を見付かった子供のように―――
 見付けた私がいけないのだと、睨みつけている。


 一つずつ、一つずつ。
 赤いその痣を私のものにするために、
 私はその上から、強く口付けていく。


 一瞬、緒方は驚いたように大きく目を見開きながら――― 、
 口端に薄い微笑を浮かべると、その眸を閉じた。




                        *********




 セットしておいた携帯の音でやっと目覚めた緒方は、起き上がろうとして、思わず顔をしかめた。
 喉はひりつき躰は重く、おまけにあちらこちらの節々までギシついて痛む。

 いいように弄んでくれたものだ。

 その隣で、張本人は射(さ)し込む月の光の下、白い肢体を半分ほども
 浮かび上がらせている。
 寝苦しいのか、時たま眉間に皺を寄せる白川の寝顔。
 黒く長い睫毛。黒い弓形を描いている眉。昔と少しも変わっていない。
 だが以前はふっくらと丸みを帯びていた頬は、とうにシャープな曲線に変わり、
 光に当てても黒かった髪は、わずかに栗色かかって見える。
 ためらい勝ちに、白川の髪に指を絡ませる。
 柔らかな手触りは昔のままだ。


 あの夏の日以来、白川は塔矢先生に会わないでくれと、言わなくなった。
 先生に逢いに行くと言うのに、俺に見せる奇妙な優しさ。
 もう俺がどうしようと気にもならないのだろうか。
 俺だけを置き去りにして――― お前はさっさと大人へと成長していくようだ。


「…緒方…」
 突然、頼りなげな小さな声で呼ばれて、慌てて髪先をもてあそんでいた指を引く。
 だが目覚める気配はなく、寝言だったらしい。


 白川とは、しばらく、逢えそうもなかった。
 まして痣が消えるまでだとしたら。


 緒方は額にかかる前髪をかき上げると苦い、吐息のような溜息を落とす。
 誰にも見せたことのない緒方の表情が、そこにあった。


 俺は未だにガキで。
 あぁ。お前は、少しも悪くない………。


 開け放たれた窓からは、まだ夜の明ける気配はない。
 うっすらと雲の流れる濃紺の空間には満月と見まがう月。
 どんなに似通っていても満月とは呼ばれない十六夜。


 俺とよく似ている。
 お前の恋人だといいながら
 恋人の定理から外れる俺は、何と呼ばれるべきなのだろう。


 風が微かに湿った雨の匂いを運んでいた。
 梅雨の開けない七月特有の気温変化。急に気温が下がってきたようだった。
 過ごしやすい、だが下手をすれば体調を崩すのは、こんな宵だ。
 眠っている白川を起こさないように、そっと緒方はベッドから滑り出ると窓を閉める。

 素早くシャワーを浴びると、服を着て腕時計を身に付けた。
 今からなら、十分、塔矢先生の起床時間には間に合うはずだ。



 緒方は愛車RX-7に飛び乗るとアクセルを踏み込んだ。





                       *********




 何か厭な夢を見ていたらしい。
 目覚めるとひどく寝汗をかいていた。
 緒方?
 気が付けば無意識に私の指先は隣をさぐっていた。
 だが触れたのは冷たいシーツだけで、もう体温さえ感じとれない。

 もう、行ったのか。
 ………抜け殻のような空間にまといつく冷ややかさ。
 いつになっても、この感覚には慣れそうになかった。

 私は仰向けになり、天井を見詰めしばらくじっとしていた。
 窓から差し込む淡い光が、凹凸のある天井に不思議な紋様を浮き上がらせて、
 まるで入りくんだ人生模様のようだ。

 昨年のあの夏の夜。
 自分がどんなに身勝手だったのか思い知らされた。

 ねぇ、緒方。
 私は――― 。
 ずっと、塔矢行洋と言う男が許せなかった。
 結婚もし、アキラ君という息子まで儲けながら、君を自分のものにしている男。
 だから。
 先生が私に君とのことを許すのは当たり前の事だと思っていた。
 それどころか何故、君を完全に自由にしてくれないのか………。
 憎んでさえいたのかもしれない。

 でも、今なら解るんだ。
 愛には色々な種類があり、時に様々な顔を見せるものなのだと。

 白川は低く忍び笑った。

 私は幸せだったんだ。
 憎まれても憎むのは筋違いだった。
 先生から君を奪ったのは私の方なのだから。

 私は、何故、君の望んだ通り密かな関係でいれなかったのだろう?

 あの夏の夜、誤解とはいえ、先生と同じ立場になったと信じた時に、
 初めて先生の度量の大きさを思い知らされた。
 私にはとても出来ない。
 たったひと時すら、アキラ君に君を渡すことに私は耐えられなかったのだから。


 深い溜息と共に白川は枕元の時計に視線をやった。
 セットアップした五時半まで、まだ時間があった。
 部屋着を身につけると立ち上がる。


 窓は、緒方が閉めて行ったらしい。
 窓を開けると、一気に外気が流れ込んでくる。
 ひと雨降ったのだろう。見馴れた街並は、濡れて色鮮やかに見えた。
 すべては早朝の静かな光の中、微かに夜と雨の入り混じった匂いと、
 世界が動きだす前の音で色付けされていた。
 白川は身震いを一つすると窓を閉めてコーヒーを入れにキッチンへ向かった。




                      *********
                           



 キッチンは、低い冷蔵庫のモーター音で満たされていた。
 その冷蔵庫の扉に目をやれば、今日の日付が赤く囲まれたカレンダーが嫌でも飛び込んでくる。
 白川は、先月の初め、緒方がその印を付けていった日のことを思い出しながら、
 白っぽい大理石調のシステムキッチンでお湯を沸かし冷蔵庫からコーヒー豆を取り出す。


 塔矢先生が帰られている。
 今夜は、森下先生のお宅を訪ねてみようか。計画していた緒方との予定は、 
 当然、キャンセルのはずだし。
 あぁ…だからか。
 と白川は納得顔で頷いた。
 だから昨夜、無理しながらも緒方は会いに来てくれたのだ。
 君は、戻ってくるのも大変だったはずなのに。

 小さいが優しい微笑みが浮ぶ。



 今朝のコーヒーはいつもより、舌に熱く、苦かった。






 結局、
 私たちは若過ぎたのだ。 若過ぎて、ただ、しゃにむに欲しいものに手を伸ばした。
 正当だと信じて、自分勝手な理屈をつけて。

 別に緒方が男だから求めたわけじゃない。
 まして囲碁棋士だから、と言う理由ですらない。ただ、緒方と言う人間が無性に愛しくって、
 求める気持ちを抑えきれなかっただけなのに。


 年を重ねるごとに、自分のなかの世界は彩(いろどり)を変え始め、己の狭量を差し示し、
 信じきっていた世界は余りに小さく、脆かった。

 もう、取り返すことの出来ない、重ねてきた失敗は多過ぎる。
 それでも割り切れない想いに、胸の奥は疼き、日々、悩みだけが深くなる。



 緒方、
 一体、私たちはどこへ、向かっているのだろう?






                                  了




                            ご挨拶

 風子です。
 白川先生お誕生日本、最後までお読みいただき有難うございました。
 これは「日常におけるSとS」の翌年の夏の話として書いてみました。
 ですがどうも駄作…な上に長過ぎて書ききれずに、また、続き物になってしまいました(冷汗)。
  申し訳ございません。平伏。
 しかも締め切りを大幅に遅滞いたしました(泣)。
 でもでも、なんと言っても遅筆なこの私、
 三週間の製作日でもとっても早い方なのですよ〜。

 さて、この作品の続きは冬合わせで頑張りたいと思っております。

 最後に今度もお忙しいところ協力してくださった
 Leiさん、
 風音さん、
 広川さん、
 八木さん。
 この作品を、サイトへ掲載して下さった岐泊さん、
 そして皆様に心からの感謝を込めて………拝礼。


                        2007/07/15    箱庭の風子拝





                               その後の展開予告 …



 くそっ。
 ぎりっと緒方は唇をかみ締めた。


 もうすぐ見えて来るはずの未舗装の道を左に曲がり、
 ゆるやかな坂を上がり始めれば塔矢先生の宿泊されている旅館が見えてくるはずだった。

 だが、緒方は急ブレーキを踏むと、車を大きく東京へ向けてUターンさせた。
 タイヤが派手に小石を跳ね飛ばし、踏みつぶす音がした。


 その朝早く、森下九段の家に愛娘の興奮した甲高い声が響いた。
「おッお父さんッ! お父さんッたらッ! 玄関に緒方先生ッ!」
 珍客の訪問に森下は眉間の皺を深めた。






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